【うつ病でニートになったからこそわかる】報われない努力なんて山ほどある

こんにちは!おさです。

今日は私がうつ病でニートになったからこそわかったことをご紹介していきます。

その中でも、努力というテーマで話していきたいと思います。

私がうつ病になった経緯でどんな状況だったのか知りたい人は過去記事にあるのどよければご覧ください。

ではいきましょう。

報われない努力なんて山ほどある

努力すればなんでもできる

私は、幼少期からサッカーをしてきて、とにかく負けず嫌いで、誰にも負けたくなく努力してきました。

そのおかげで全国大会にも出れましたし、ある程度結果も伴ってくれて、楽しんでサッカーをできていました。

それは自分がちゃんと練習して、努力してきたからだ。と確信していました。

だから私は、努力すればどんなことだって解決できる。頑張れば報われる。努力なしに得られるものは何もない。

そんな考えになっていました。

その固定概念が後に自分を苦しめることになっていきました。

報われない努力なんて山ほどある

社会に出た自分は、努力すれば出世できるし、仕事もどんどん覚えることができて給料も上がっていく。

そんな考えで意気込んで仕事に打ち込み、自分を鼓舞し努力をしていました。

今思うとそれが努力していたのかというとわかりませんが。

でも、現実ではそんなに甘くありません。

そんなに努力していないように見える人が上司になっていて、頑張る若手は安い給料で一番努力する。

そんな構図が薄っすらと見えていました。

サッカーを通じ持っていた、努力は絶対報われるという概念はその時、打ち砕かれた感覚が今でも覚えています。

実際に、どうでしょう。

頑張って努力すれば何事もうまくいくでしょうか。

せっかくこんなに頑張って努力したのに結果が出なかった。そんな風に今まで生きてきた中で感じた人は多いのではないでしょうか。

努力が実るのは一握り

努力が結果として実るのはほんのひと握りだと思います。

どれだけ頑張って仕事をしても、給料が上がったり、プロジェクトが成功したりするのは、その他の要因などが積み重なって結果が出ます。

どれだけ頑張っても結果が出ないこともある。

少ししか努力していないのに、運が良くて結果が出ることもある

辛いですけどこれが現実なのかと思います。

結果が出るのは才能×努力×運

これが個人的な感想ですし、的は得ていると思います。

それでも努力を重ねて生きていく

運を信じて努力はしないそんな選択肢はない

どれだけ頑張って努力をしても報われないのかもしれないのなら、運だけに任せて自分は全く努力しない。

そんな選択肢はないと思っています。

あくまで才能×努力×運です。

どれだけ才能があって運が良くても、努力が0であれば掛け算で0です。

だから何か結果を残したいのであれば努力することは必須なんだと思います。

反対に、結果が出るかはわかりませんが、どれだけ才能がなくて、運がなくてもたくさん努力をすれば結果が出る可能性は必然と高まります。

才能は生まれ持ったもので自分が変えられる部分ではありません。

運も自分で操れる部分ではありません。

結局、自分で変えられる部分は努力する以外ないんです。

努力する過程で得るもの

努力が直接結果に結びつくことないということはわかって、もらえたと思います。

だから、努力は必要最低限だけすれば良い。

そんな人がいても私はいいと思っています。

でも私はそうやって生きたいとは思いません。

なぜなら、

努力する過程そのものが楽しく、価値があると思っているから

努力して得た結果の方がうれしく格別だからです。

別にしなくても良い努力をして自分を律し、鍛え上げれる。その過程では自分が望む結果以上に良いものが舞い降りてくるのかもしれませんし、その努力した過程は思い出になります。

高校時代努力の方向性が合っていたのかは置いといて、本当にたくさん走りました。自分でも言うのもなんですが、努力はした方だと思っています。

でも望んだ結果が出ませんでした。

だからって何も残らなかったかと言われればそうではない気がします。

努力する過程で、チームメイトと真の友人関係を作れたこと。限界は自分で作るものではないと知れたこと。

そんな風に、努力した過程はとても思い出になりますし、結果以外のものを自分に与えてくれます

だから私は努力したいと思います。

また、結果が出る時努力して得た結果と努力しないで得た結果どちらが嬉しいでしょう。

私は努力して得た結果の方が嬉しいですし幸福感を感じます

例えば、またサッカーの話になってしまいますが、そんなに努力しないでも必然的に得意だった右足で決めたゴールは嬉しいですが、そこまで格別の喜びではありません。

しかし、中学生の頃、左足が苦手でとにかく練習して練習して、左足で決めたゴールは今でも覚えていますし、サッカーをしてきた中で一番嬉しかったゴールです。

このように努力することで結果が出たときにさらに喜びを感じることができたりすることができるのが努力する要因の一つです。

まとめ

結局今回私が言いたかったことは

努力することを美談にしてはいけない

これが私が言いたいことです。

努力が必ずしも結果に結びつくわけではない。その上で努力する理由は結果が出た時のさらなる喜びのため。結果を出すために自分のできることをするため。努力する過程で得られるものがあるからです。

これを小さい時から理解しているでしょうか。

頑張れば結果が出るよ。努力したらいいことしかないよ。頑張ることはすごいことだよ。努力することはかっこいいよ。

そんな風に、子供などに教え込むと、努力したのに結果が出なかったときはショックですし、頑張れない時努力できない時が辛いです。

このことを私はうつになって強く思いました。

頑張って仕事をすることが素晴らしい。努力していればなんとかなる。

そんな考えが、自分のことを苦しめ、心が病んでしまう原因になったからです。

頑張れない時は頑張らなくたって良いし、努力できない時は努力しないで休んでもいい。

だからと言って何もうまれないということではないということをもっとたくさんの人に知ってほしいです。

私のように心を病んでしまったりしないようには、頑張ることや努力することを美談だけにせず、努力しても結果が出ないこともあるという現実や、少しの努力でも結果が出るんだという現実を知る必要があると思います。

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